琵琶湖とそこから延びる運河が印象的な水郷の町。
豊かな自然と歴史情緒を感じられる近江八幡市は、
琵琶湖の水に支えられて多くのブランド食材も生み出している。
近江牛、近江米、近江野菜…。生産者を訪ねて、その魅力を探る。

戦国武将が築いた
歴史ロマン溢れる町

滋賀県のほぼ中央、琵琶湖の東岸に位置する近江八幡市。中世以前は農業を中心に栄えていたが、戦国時代になると陸運と水運の要衝ということに目をつけた武将たちによって多くの城が築かれた。
天正4年(1576年)に織田信長が安土城を、天正13年に(1585年)豊臣秀次が八幡山城を築くと町は一気に発展。特に秀次が琵琶湖と市街地を結ぶ八幡堀と呼ばれる運河を整備したことで、交易地としての規模は拡大の一途をたどる。日本三大商人のひとつにも数えられる近江商人が生まれたのも、こうした背景があればこそだ。
水運の要としての役割は昭和30年代までに終えたが、八幡堀は今も市民の誇りとして保存されている。石垣で造られた水路に流れる美しい水、その脇に立ち並ぶ白壁の蔵や昔ながらの木造住居。往時を偲ばせる美しい風景は今も健在だ。

自然と人智が融合し
ブランド食材を育む

近江八幡は多くのブランド食材の産地としても知られている。
筆頭は近江牛だ。史実によれば、食用肉としての歴史は400年以上と、ほかのブランド牛と比べて圧倒的に長く、日本最古。
江戸時代には、味噌漬けにした近江牛を「反本丸(へんぽんがん)」という名で薬用牛肉として将軍家に献上。明治、昭和と徐々に庶民にまで近江牛の名は知られるようになり、今では日本三大和牛の1つとして数えられるようになった。
近江八幡産の米や伝統野菜も、同様に関西の市場では地位が確立されている。味のよさだけでなく、安全性も認められ、京都の老舗などでも引く手あまただという。
牛も米も野菜も、近江八幡の豊かな風土なしには語れない。その風土を支えているのは琵琶湖。周囲を囲む山地から400以上もの河川が豊富なミネラルを蓄えて流れ込み、周囲に肥沃な土壌をもたらした。近畿地方の重要な水源でもあることから、水質保全には細心の注意を払う。自然がもたらす水という贈り物と、それを守り、最大限活用して食材を育てる生産者の努力が、数多くのブランド食材を生み出している。
循環型農業で生まれる近江八幡の食材
ミネラルをたっぷり含んだ琵琶湖の水を飲んで育った牛の牛ふんは、堆肥となって米作農家や野菜農家にわたる。牛ふん堆肥で育てた稲の収穫が終わると、稲わらは牛の飼料となる。理想的なリサイクルシステムが、近江八幡の安全で美味しい食材を支えている。

菰田欣也シェフが近江食材の魅力探訪

極上食材が豊富と聞いて、中華の巨匠、菰田欣也さんが近江八幡市を訪れた。
市場に行くだけでなく生産者のもとを訪れ、生産の現場をその目で見た料理のプロフェッショナルは何を感じるのだろうか。
  • 右から2番目
  • Whole4000代表 菰田欣也さん 四川飯店グループ総料理長を経て独立。
    現在は東京・青山の「4000 Chinese Restaurant」で腕を振るう。

琵琶湖湖岸の豊かな風土が
ブランド農産物に反映される

近江八幡市は、神戸牛、松阪牛と並ぶ日本三大和牛のひとつとしてあまりにも有名な近江牛の一大生産地だ。約30軒と県内ではダントツの肥育農家数を誇り、それぞれが切磋琢磨してよりよい近江牛の生産に心血を注いでいる。
お邪魔した橋場牧場は、親子2代で約220頭の近江牛を肥育している中規模農家。
「1頭1頭に神経を配ろうとすると、うちの場合はどうしてもこれくらいの頭数が限界」と語るのは代表の橋場芳明さん。美味しい牛肉を作るのには、とにかく牛のストレスを軽減するのが大切で、常に牛の状態をチェックできる体制が必要なのだ。また、牛の体調管理という点では水も重要だという。
「牛には軟水がいいというのは定説。琵琶湖に注ぐ鈴鹿山系の水は軟水で、牛の肥育に適しています。鈴鹿山系を挟んで西に近江牛、東に松阪牛の産地があるのは偶然ではないと思いますよ。うちではさらに、カルキや塩素を除去する浄水器を通しています。胃の中の微生物を殺してしまったら、牛の食欲が落ちてストレスになるからです」 手塩にかけて牛を育てる姿勢に、菰田シェフも感銘を受けたようだ。
近江牛
日本最古のブランド牛。
『滋賀県内で最も長く飼育された黒毛和種』として、2007年に商標登録された。
「牛肉って約30カ月っていう長い期間をかけて育てるでしょ。つくり手の思いが強く反映されますよね。こんなに真摯に牛と向き合っている農家さんの肉はぜひ使ってみたいですね」
ここまで手間をかけて橋場さんが目指す、理想の近江牛とはどんなものなのだろう。
「 食べて美味しい、何度でも食べたくなる肉。これに尽きますね。賞を獲得するには見た目にきれいなのが絶対条件。
びっしりとサシが入っていないと評価されませんが、それだと脂がきつすぎると感じる人が多い。口に入れるとさらっと溶ける、融点の低い脂が程よく入った肉を皆さんにお届けしたい」
循環型農業で生まれる近江八幡の食材
ミネラルをたっぷり含んだ琵琶湖の水を飲んで育った牛の牛ふんは、堆肥となって米作農家や野菜農家にわたる。牛ふん堆肥で育てた稲の収穫が終わると、稲わらは牛の飼料となる。理想的なリサイクルシステムが、近江八幡の安全で美味しい食材を支えている。
続いて訪れたのは、近江米を栽培するイカリファーム。近江米の歴史は古く弥生時代にまで遡る。京都が隣接するということもあり、平安時代には人口が増えた京都への重要な米供給地として生産高を伸ばしていった。天皇への献上米にまでなったということからも、品質の高さがうかがい知れる。
その品質を、現代においてもさらに高める努力をしているのがイカリファーム代表の井狩篤士さん。
近江米
滋賀県内で栽培された米の総称。
コシヒカリ、キヌヒカリ、日本晴など主要品種をはじめ、20品種以上栽培している。
「滋賀は農薬と化学肥料の使用基準値が日本一厳しい県です。他府県では使用できる農薬の成分は24 ~27ですが、滋賀県は14成分。うちではその半分の7成分以下に抑えています。完全無農薬で育てた米と農薬残留値を比べてみたことがありますが、どちらもゼロで変わりはありませんでした」
お客様には、いつも炊きたてのご飯を提供しているという菰田シェフも、この話には興味津々。
「話を聞いただけで、程よい粘りと、素晴らしく甘みのある米だってわかりますね。土鍋で炊くのももちろんだけど、こういう米に少し油を加えて蒸してからチャーハンを作っても、すごく美味しいんですよ」
最後に訪ねた東川町そさい生産組では、ナスの出荷作業が行われていた。「 まあ、まずは生で食べてみてよ」と組合長の松本稔さんに勧められて口にしたナスの味には菰田シェフも驚いた。
「全然エグみとか渋みがありませんね。皮はしっかりしているのに、中はすごく柔らかい。アクが少なそうだから、いろいろな料理に使えますよ」
近江野菜
一般的な野菜だけでなく、日野菜や北之庄菜など、
ほかの地域では見られない伝統野菜も栽培されている。
設立約50年の組合で生産されている近江八幡市東川町のナスは、京都市の市場で飛ぶように売れるブランド野菜。特に発色が美しく柔らかいことから、漬物屋には欠かせぬ食材なのだ。
「東川町は土壌に鉄分が多いから、農薬を与えないでもきれいな黒紫色になる。ほとんど農薬を使わないので、安心・安全という意味でも評価されていますね」と松本さん。
紫のブランドシールが安心・安全の食材の証
農薬や肥料の使用基準値など、近江八幡市が定める厳しい47の項目をクリアした野菜や果物だけが「水郷ブランド」を名乗れる。

現場の生産風景と声が
料理人の感性を刺激

美しい水田や琵琶湖の風景を見て、近江八幡の食材が豊かな風土に育まれていることを実感。周囲の山から琵琶湖に注ぐ水が軸となって、循環型農業が成立しているのにも感銘を受けました。
近江牛は実際に調理してみるとサシが多く、脂の甘みがあるため、A5よりもさらにランクが上なんだと思ったくらいです。これだけ良いお肉だと、余計なものはなるべく入れずに料理したいですね。
また農業、畜産業において若い担い手が育っているというのも素晴らしい。彼らの熱意を聞けたのも有意義でした。
僕は生産者と消費者を結ぶ中間の人間。これからもつくり手の思い、食材の持ち味を余すことなくお客様に伝えていきたいですね。
菰田欣也さん
「ヒルナンデス」(NTV)、「ゴゴスマ(TBS)ではレギュラー。その他「あさイチ」(NHK)などにも出演を重ねる、人気シェフ。手掛ける店は予約困難